大好評の4年生に自分のこれまで、同期・後輩、そして親への思いをつづってもらう企画。第3回は山本大夢選手(高砂出身)です。

 僕が野球を始めたのは小学3年生の頃です。初めて甲子園へ阪神タイガースの試合を観に行った時にとても興味を持ち、いとこの所属していた近くの軟式チームに入りました。小学4年生あたりまではただ野球を楽しみ、小学5年生からは、試合で活躍したいと思うようになりました。体も小さく、野球が嫌になる時期もありましたが、そんな気持ちに負けず一生懸命に練習してきました。
 中学校では少年野球のチームの子と共に高校野球を見据えクラブチームで硬式野球にチャレンジしました。かなり体も小さく食トレをするところからスタートしました。体格も実力も周りとの差が大きく、3年間辞めたい気持ちがありながらも、練習に通っていました。今の生活からは考えられませんが、朝早くから夜遅くまで練習する、そんな生活をしていたことを思い出します。家に帰ってもご飯を食べ、お風呂に入ってすぐ寝る、という生活だったため、今思い返すと、家族との会話も少なかったように思います。
 高校は高砂高校へ進学することになりました。「人数の多い所で野球がしたい」、また中学2年生の頃から「体育教師になりたい」と思うようになり、スポーツクラスがある高校を選びました。中学3年間のクラブチームでの生活を耐え抜いたことで、高校での野球は今までと違い心の底から野球を本気で楽しんでいたと思います。野球に対する考え方も変わり、苦手なバッティングにも少し自信を持てるようになり、少しずつ結果を出せるようになってきました。1学年上の代は夏の選手権でベスト4まで勝ち上がり、それを目標に練習に取り組みました。高校野球でレギュラーとして試合に出るために自主練習も欠かさず行ってきました。その結果、自分の代になり、不慣れなポジションであるサードでしたがレギュラーとして試合に出ることができました。しかし、秋の大会では接戦を落としすぐに負けてしまいました。負けてからはチームで切り替え、春の大会・夏の大会で先輩方に追いつき、追い越せるようどのような練習にもみんなで声を掛け合い、厳しい冬の練習にも耐えてきました。その年の冬、新型コロナウイルスが流行し、春の大会も夏の大会も中止になり、野球を出来ないことがとても悔しかったです。ですが、兵庫県独自で大会を開いていただき、負けて終わってしまいましたが、3年間の集大成を見せることができ、最後までみんなでやりきることができました。
 大学では体育教師を目指し進学し、野球も続けることを決めました。大学野球ではすべてが劣り、自分には野球を続けることがとても厳しいと感じました。野球を初めて今まで痛めたことのなかった肩や腰を痛め、あまりいい思い出は作れていなかったかもしれません。その中でもフレッシュリーグで南港野球場で試合ができたことはとてもいい思い出になっています。また、大学野球では学生委員としてリーグ戦を運営し、学生委員でしか見ることができない景色もあり、素晴らしい出会いと経験ができたと思います。学生委員長としては、初めは怒られっぱなしで、頼れない存在であったと思いますが、他の学生委員のおかげで最後までやりきることができました。
 大学を卒業してからは、一般企業に就職し、地元貢献のため野球人生で培ったことを思い出し、精一杯働いていきたいと思います。
 野球を始めてから楽しい思いも、悔しい思いもたくさん感じてきましたが、ここまで続けてこれたのは、「野球が大好き」という気持ちがあったからだと思います。
 野球という素晴らしいスポーツと出会えたおかげで、人としても成長出来ました。
 そして、野球をここまで続けさせてくれ、どんな悩みも聞いてくれた両親には感謝しかありません。
 13年間有難うございました。これから恩返しできるように全力で働きます。